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♪♪ 飛騨の高山を訪れて∽∽〔6〕鄭容順

宿泊した水明館を9時半に出発した。

次の見学先は「地中大空間―高山祭りミュージアム―まつりの森」に向かった。
場所は岐阜県高山市千島町です。営業時間は午前9時から5時まで。
「お祭市場」「ちょうの館」「食祭館」があります。
「お祭市場」は飛騨の名産を集めたにぎわい市場、「ちょうの館」は全世界から採集された3万種10万頭にのぼる標本を展示する必見のコレクション、「食祭館」は味覚満喫飛騨の食祭レストラン、食祭大路・団体席400席、食祭小路・和食席140席、フォレスタ団体100席があります。
そして美しい自然に抱かれた国内初の地中大空間<ジオドーム>
「世界一の大太鼓」「福寿台のからくり」など絢爛豪華なまつり屋台を1年中観覧できる「飛騨高山ミュージアム」魅力倍増です。ドーム内にはトリノオリンピックで使用されたムービングライトが導入されている。
そしてからくり屋台が様々な色のスポットライトに照らされ幻想的に浮かび上がらせて観客は魅了している。ドーム全体がマジックで包まれているようだ。最新技術を演出、また違ったドームの中の祭屋台に新発見をしたようだった。
そして一行の中の誰かが話す。
「大太鼓」を打つのもからくり人形である。
始まる前と終わった後に見学者は大きい拍手をしていた。
一行の中から誰かが「人形に拍手している」と言う。
そういえばそう。あれは人形だったと確認して苦笑している。
それほどからくり人形とは思えないほど精巧な技術に圧倒された。
ドームの中は毎日が「高山祭」7基のからくりが上演される。
たっぷりと時間がかかった。
ドームを見る前にまず「食祭館」で昼食をとった。食事が終わって約2時間半のからくり太鼓を見学、外は猛暑に近い暑さ、ドームの中はひんやりとして涼しい。
筆者は中に入るまでは一行の1人に「ここで2時間半も何して過ごすの」と言ったら「これから祭を見るのや」という。はて何の祭と思いながら入っていった。照明を暗くしてからくり太鼓を浮き彫りにしての観賞。
「桃」を割るからくり人形、からくり人形が桃を割る動作が始まる。そして桃が割れて中から紙吹雪が舞って下に落ちる。観客は縁起物のおみくじをひらって旅の思い出の1つに添えている。
筆者はこのからくり人形を写真に撮った、そしてカメラをビデオに切り替えて撮影をしょうと思うが暗がりでアイコンが見えない。明るいところにカメラを持っていくが老眼で見えない。老眼鏡は忘れてきたとばかり思っていたら鞄の底に入っていた。だから鞄を入れ替えると何かを忘れていることはよくあるのでなるべく入れ替えないようにしているがいくら何でも同級生との旅行、仕事の鞄に気が引けて入れ替えると老眼鏡は鞄の底に入っていた。帰りのバスの中
で見つけた。
時間があるので「お祭市場」もまわるが土産はホテルで朝買ったところだった。そうたくさんいらないと思って見てまわるだけだった。それでも時間がある。
時間を持て余しているのは筆者だけではなかった。
10数人がこの近くをウロウロしていた。
幹事の1人がコーヒーを飲みに行こうと誘った。
筆者は心の中で「行きたかった。うれしい」と喜んでいた。
飲み物を飲んで話していると時間のたつのは早い。
集合時間になった。一行は一路家路に向かうが途中に飛騨高山別院に立寄った。ここも見学時間が短い。
町の中を散策しながら土産物屋さんを見てまわった。
男性たちの好みは漆の伝統工芸などに目がいく。渋い好みにそれぞれ生きてきた人生を垣間みる。
どれも伝統工芸の手工芸は素晴らしい。しかし短い時間には吟味して買うことに躊躇して見るだけだった。飛騨の伝統工芸、奈良の伝統工芸と同様、職人の心意気が詰まっている。それなりの価格に目を見張らせて目の保養だけして町をまわった。
一行は2時半前後、出発、トイレ休憩はバスの中で一眠りをしてから起きた。
バスに乗ると緊張してトイレがしたくなる。そして男性たちはビールを飲んでいる。ひんぱんにするトイレ休憩に誰かが「小便小僧」とニックネームを付けていた。男性たちはトイレが近くになるがやはりビールを飲みたい。
しかし和やかで楽しい旅になった。
幹事をして下さった皆を引率して引っ張って下さったことに感謝また感謝です。
無事に終えた小旅行、同級生の1人からメールが入っていた。
「祭が済んだ後のような気分」なるほど。それくらいに楽しかった。
終わった後の寂しさが今になって響いている。
「またいこな」とあちらこちらから声が聞こえてくる。
お世話する人は大変だが同級生が同級生を呼び縦やら横やらの綾織のように人が集まった。そしてさらに輪を広げていくことを帰りのバスの中で皆誓い合った。
人徳のある幹事の1人が「お前がずっと幹事長や」という声があがっていた。
今回筆者に誘いをかけてくれたのはおとなしい筆者の小学生の時に声をかけてくれた女子の同級生そして長い間行政機関に勤務して定年退職するまで筆者のことを影日向でサポートしてくれた人だった。
彼は小学生の時も助けてくれた。いつも叩く男の子がいた。それを見た彼はその子に言った。「何するのや。やめとけ」と。成績優秀だった彼に言われて納得したのかそれから叩いたり蹴ったりしなくなった。その彼は大人になってもずっと助けてくれた。
まだなんのお返しもしていない。
彼の母親がそんな人だったという。地域の子どもにも自分の子どものように叱り褒めて地域の子どもを一緒に育ててきた人と聞いた。そうした親の背中を見て育った彼だったのかと彼の正義感のあるところが理解できた。
筆者は小学校時代どこにいるのかわからないぐらいに存在感のない子どもだった。それが年を重ねて見るとにぎやかな大人になっていた。
もっていた素質は高校時代に開花した。
高校時代はお転婆で存在感ありすぎて父親にいつも怒られていた。
「できそこないの子ども」とよく言われた。
高校時代の筆者を知る私は「高校からちょっとやんちゃになったな」と言っていた。そうなんです。だから父親によく怒られたことをまた思い出した。

飛騨の旅からもう10日過ぎた。それから一挙に猛暑になった。
飛騨川はキャンプのテントが多く見られることだろう。
山深い飛騨の夏は短い。秋の訪れとともに雪が降り出す。
豪雪がもたらした白川郷合掌造り、冬の飛騨も素敵と言う人もいる。
筆者は冬が苦手、写真で満足しておこう。
日本全国広い。まだまだ見ていないところがたくさんある。
次はどこの旅になるのかを楽しみにして飛騨の旅日記を終えることにしよう。

最後に訃報をお知らせします。
参加者が25人のはずだった。直前まで楽しみにしていた。それがいく直前に病気で急死した。それを旅行でお知らせする幹事は涙、涙でお知らせした。
寄る年端を実感する。健康でいることが1番と改めて思った。
○○君にご冥福をお祈りします。------合掌------

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