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5月21日(月)晴。

今朝、更新したフエスブックを貼り付けしておきます。

5月21日(月)、晴。外はいい天気、部屋の室温、朝7時40分、24度、湿度は90%、今日はいつもの通り平温ということらしい。夕べは夜中、暑かった。やっと5月も20日過ぎたので今朝、敷き毛布を取った。シーツになった。まだ何日間か寒いかもしれないが、もう夏に向っていくので今日、はずした。
今日はリハビリの先生は所用で休み、看護師さんは11時にこられる。
今朝も食べたものはご飯、味噌汁、さつま揚げ2枚、長芋の生もの少し、豆もやしのおひたしが少し、焼鮭も小さいものが少しである。350カロリーである。
昨日のフエスブックで知人がわらびをたくさん取ったらしい。わらびは湯がいてあく抜きをしないといけない。日本人が食べるのはゆがいた後、醤油をかけて食べるのは女友だちに教えてもらった。知人はてんぷらにして炊いた料理にもしたという。在日の家庭ではわらびは祭祀で使う大切なものである。たくさんとって湯がいて天日干しをして、からからに乾かす。これを両こぶし大にして藁で巻いて固定していく。これを大事に保管して祭祀に使う。使うときは前の晩に水につけてもどしていく。柔らかくなると胡麻油で炒めて醤油で味付けして、祭祀の膳に供えていく。
夫の妹は滋賀県に住み、少し行くと山々で、わらびやぜんまいの宝庫である。
祭祀に使うため、夫の兄夫婦と私の夫婦と6人で山に出かけてわらびとりを数年間した。午後の1時ごろまでした。途中、おにぎりの昼食をする。取り終えると軽トラック1台は余裕にある。それを妹の家に戻り、大きい釜をだして湯がいていく。湯がいたものを筵に並べて天日干しをする。これは何日間、しないといけないので、後は妹夫婦に任せて家路にもどる。
私は数年間は山に入ったが、あるとき、がさの中に入って出られなくなって、少し怖いと思った。それから仕事は忙しくなってきて仕事を理由に行かなくなった。
私が大病して、危篤状態で死にそうになった。集中治療室で私の耳元で「死んだらあかん。生きなあかん」と叫んでいたのは、この妹だった。夫は私の意識が戻った時に話してくれた。わらびと聞くと夫の妹を思いだしている。
女友だち、友人が奈良市内の山の麓で育っているので五月になるとわらび取りに行きたくて体がうずうずするらしい。それで女友だちは友人と一緒に月ヶ瀬や笠置あたりに取りにいくらしい。私にもおすそわけ、湯がいて下さる。私が入院する年の春にまだいっていたが、その後のことはわからない。
かつて在日の1世、私の育ったところの1世、背中にかごを背負って電車にのって笠置や大河原にわらび取りにいっていた。たくさん取ってきて、それを鶴橋にいって売っていた。1世たちはこうして家計の足しにしていた。今はどうだろう。もう3世、4世になった。どうだろうか。
今日はこのへんで、また。

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