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♪♪ 飛騨の高山を訪れて∽∽〔4〕鄭容順

「ひるがの高原に」立寄りました。

宿泊ホテルに行く前にトイレ休憩を兼ねて20分ほどの道草程度にった。
「道草」程度の立寄に一行の中からハプニングが起きた。
幹事の1人が毎回トイレ休憩の後、人数の点呼をしていた。
それが大丈夫と思ってこの時はいつもように確認をするのを数が揃っているという思い込みでバスが出発した。
宿泊ホテルに向かって15分程度バスは走行しただろうか。
1人いないことに気がついた。
ヒャー。バスの中は皆、真っ青になった。
幹事たちの心臓は止まりそうなのが伝わる。
ドックン、ドックン、冷や汗で真っ青、自分に置き換えてみるとそうなるだろう。皆顔は真っ青になっている。
筆者はしばらく黙って様子を見ていた。
幹事の1人が携帯で高速道路を走る誰かの車に便乗するヒッチハイクを言っている。しかしその携帯電話はは山の中、電波が悪い。会話はとぎれとぎれである。つながったと思ったら切れる。
何を思ったのかヒッチハイクしながら歩くようにと言っている。
そしたらバスの中の1人が「俺が降りて歩いて迎えに行く」という。
とっさの筆者の直感だったのだろうか。危ないと思った。
筆者は小学校時代はどこにいるのか分からないおとなしい子供だった。皆筆者が大きい声で注意するとは思っていなかっただろう。とっさに出た。歩くという人に言っていた。
「あかん。歩いたらあかん。ミイラ取りがミイラ取りになる。また探すはめになる」と言っていた。
一瞬に出た言葉だった。
他の人も「高速道路を歩くのは違反になる」と言って止めた。
ヒッチハイクしてくるかもしれない。通る車を目を凝らしてみたがどの自動者ビュンビュン飛ばして走っていく。
「ああ。これものってへん」とため息がもれる。
幹事の1人は旅行会社の添乗員の資格を持っている。
けっきょくバスはこれから「ひるがの高原に迎えにいくからそこで待っているように」と指示を出した。
バスは引き返すために高速道路を走った。
そして運転者の機知に富んだ判断をした。
料金所のゲートが閉まっている。向こうから車が来ない。
ゲート前でUタンしてひるがの高原に引き返した。ひきかえすところでもゲートもUタンをした。バスに乗っている一行は始めてみる光景に驚いた。
緊急事態にする決断の1つだと幹事の1人が説明をした。
「勉強になった。しらんかったわ」と男性たちも行っている。
ゲートが空いている場合はできない。ゲートから入って車と接触して事故になる。その見極めの判断は運転者の機知の判断と技術だった。
置き去りにされた人も一行に追いつこうと必死だった。高速道路を歩いている姿を見たが引き返してくるバスに気がついたのか。
彼はひるがの高原に戻って待っていた。
そして幹事たちは言う。
「バスに乗ってきても何もいわにいように。よかったということで迎えてあげよう」と釘を刺した。
なんと優しい心温まる同級生たちだろう。
心の中で涙が出そうになっていた。
ひるがの高原に着くと彼はバスに乗り込んできた。
一行は「良かった。良かった」と無事にバスに乗ることに言葉で安堵した。
小学生時代の教師に教わった教えをそのままに実行している私たち同級生たちだった。大人になっても周りの人を思う温かい心はそのまま皆残っていた。
1950年の初め小学校生活を送った。戦後教育に翻弄されながらも教師たちは普通の人間としてどうあるべきかということ。社会生活の中でどうあるべきかということを言葉で教え背中で教えてきたことを田舎で育ったやんちゃ坊主たちはそのまま受けついで地域で暮らしているよしみのよさがわかった。
地域で暮らすことはこんなことなのだとまた改めて認識していた。

「ひるがの高原」とは。
岐阜県美濃と飛騨のちょうと真ん中の境界にある高原で清流長良川は最源流でもある。太平洋と日本海の分水嶺になる。
標高約900メートルに広がる高原、その昔は湖だったそうでそこかしこに名残の高層湿原を見ることができる。地形や気候が合って豊かな生態系を作り出している。
現在、東海圏のリゾートの1つになっていて別荘やペンションが建ち並ぶ観光エリアとなっている。夏は避暑、冬はウインタースポーツでにぎわっている。
世界遺産の白川郷、飛騨高山、踊りで有名な郡上八幡などの観光地へもそれぞれ50分程度のエリアにあることからレジャーに訪れる人が多い。

「自然として」
冬は2メートルの積雪の豪雪地帯、一昔前は鳥と動物しかいなかった未開地だった。半世紀前から開拓団によって拓かれたこの地、豊かに自然と雄大な風景を満喫することができる。開拓時代から酪農が盛んで牧草地が広がっている。素朴で心温まる風景に人の心をやすらかにさせてくれる。
そして珍しい自然の宝庫、県の天然記念物に指定されている日本最南限の水芭蕉、わたすげの群生地、他に東海圏ではここだというオオジシギの繁殖地でもある。野鳥の数も多く5月から夏にかけてカッコウやホトトギスのさえずりが聞こえ風物詩の1つとして魅了されている。春はギフチョウなど珍しい昆虫も多く見ることができる。夜は空気が澄み星空観察には最適、7月になると蛍が飛び交っている。

「四季を通して」
春はザゼンソウを皮ぎりにミズバショウ、桜の花が咲きそろう。6月の入梅まで新緑と残雪という風光明媚な自然景観を見せてくれる。秋にかけてのグリーンシーズンには大日岳の登山、ハイキング、テニス、ゴルフに最適です。
夏は都会が猛暑にあえいでいるときこの高原では昼はすごしやすい避暑地になっている。8月の平均気温は27度、朝晩は18度です。標高が高いため紫外線に注意をして下さい。
秋は10月下旬から夫婦滝や分水嶺公園、大日岳が紅葉に染まり始める。白川郷のどぶろく祭など祭も盛りだくさんです。
冬は雪深い。は開拓時代は豪雪で陸の孤島になったが現在では除雪対策も進み大雪がふっていても交通マヒは起こらない。多くのスキヤーやスノボーダーが訪れるウインターリゾートとなり西の軽井沢といわるほどレジャー施設が点在しているところである。

どういうわけか「ひるがの高原」の話題はこのあとずっとでなかった。トイレ休憩をかねての立ち寄りだったが一行は原生林に囲まれた奈良公園、春日の杜の古代史からの雄大な草原などを小さい時から見ていることから春日の杜に比べていたのかもしれない。京都府木津川市木津町は奈良県奈良市の県境に位置している。
そしておいてけぼりにされた同級生の話題にならないように気配りされていたのか一行はホテルに向かう道中なごやかに談笑しながらバスに乗っていた。
宿泊施設はJR高山線下呂駅のすぐ側、「水明館」、有名な高級ホテルと言われている。一行はトイレ休憩など合わせて1時間は遅れると思ったが意外と予定通りに着いた。

同級生の1人が多治見市に住んでいる。ホテルの玄関で出迎えてくれた。
懐かしい顔、小学生時代は歌がうまかった。
長い間、多治見市で市議会議長も勤めた。今は議員の仕事はしていないが顔はまだ政治家の匂いがしていた。また地域のために何かするだろうという予感が筆者に見えていた。この年になって小学生の同級生の輪そして和が心癒すものがあると知って感動していた。

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