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12月21日(木)、はれ。

寒いです。

さきほどフエスブックに更新したものを貼り付けておきます。12月21日(木)、晴れ。朝の8時前、21度の44%です。しかし寒いらしい。リハビリの先生、外を歩くと手がキンキンに冷たいと言っておられた。若い先生が言うので高齢者にはもっと寒いのだろう。
エアコンの風向きを上の方にしていた。リビングまで届くように思っていたが夫は寒い寒いという。風向きを少し下にすると私の肩も寒くなく部屋全体に温かい。暖かいからよく眠れているのか、夕べは3時間おきのトイレになった。電気ストーブもどこかにあるが夫はどこになおしているのか記憶がとんでいる。私が1年間、寝たきりで電気ストーブは危ないと思って出していなかった。そしたら夫はもうどこになおしているのか忘れている。
昨日はよほど寒かったのか。ホットカーペットだけでは寒かったらしい。風向きをかえてから寒い、寒いと言わなくなっていた。

今日、夫は近くの病院の外来診察でもう少しすれば病院行である。
9時の予約で8時半にはもう出る支度をしないといけないだろう。歩いて10数分のところに病院がある。
今日は何も書くことが浮かんでこないな。

明日は冬至、昼と夜の長さが同じ、明日はカボチャを食べる日である。
私が健康な時はカボチャを食材にしていた。
鍋で煮こんでいた物を電子レンジで作るようになった。電子レンジで早くできる。耐熱皿にカボチャを並べて、砂糖を多い目に入れて醤油は薄口をほんの少しだけいれて電子レンジで7・8分加熱するとホクホクのカボチャができた。夫はカボチャが好きなのでスーパーで惣菜を買ってくるかもしれない。
私の父親は生前の晩年、冬至になると小豆粥をしてほしいと母親にいっていた。母親は手間のかかるものとブツブツといっていたが作っていた。小豆を軟らかく煮こんでするお粥、私は作り方がわからない。父親は、韓国に5歳まで過ごした。韓国で冬至になると私から見ると祖母は小豆粥をつくっていたのか。祖母はかつて由緒ある家の娘だったのか。卵焼き1つにも上品にきれいに仕上げていたというのは、今は亡き、父親の弟、叔父がいっていた。祖母の父親は家で子供たちに千字文など教えていた。祖母は女の子だったが、男の子と一緒になって勉強していた。だから日本にいてもどこからもらってきたのか、韓国日報のハングル版を読んでいた。そして掛け算も韓国語でいっていた。それに美術の才能があったのか、孫が粘土づくりをしていると一緒になってしていたという。
そして私が社会人になってOLをしていたとき、祖母は我が家にいると私の側で韓国語のラジオを聞いていた。ダイヤルを合わしてくれというので韓国語と思って合すと祖母は「アイダ、平壌だ(違う。ピョンヤンインミダ)」といって平壌の放送は聞かなくて韓国のKBS放送を聞いていた。私にはいつも注意をしていた。従姉妹が朝鮮学校で教師をしていた。それで従姉妹には何も話してはいけないと、たえず注意していた。向こうの話を黙って聞くようにと注意していた。その従姉妹もやがて韓国籍に切り換えて我が子を英国に留学させている。
祖母の弟は韓国で文学学者だった。何も取り柄がない私に祖母の血筋をわずか、わずか、ほんの少しだけ私に神さんが与えてくれたものと思っている。その祖母も91歳で亡くなって早やもう20数年にもなった。父親は晩年、ラジオでを聞いていたのは韓国の放送だったのか。韓国の事情よく知っていた。新聞だけの情報だけでもないと私は思っていた
今日はこのへんで。また。


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